占星術と科学

 そもそも科学は占星術を否定できるのでしょうか。そのことを整理するために西洋占星術と科学との関係を歴史的(主に西洋史ですが)な経緯も踏まえて考察してみましょう。ここで述べる科学は量子論が登場する以前のニュートン物理学を基礎とした近代科学のことです。20世紀に量子論と相対性理論が登場し、近代科学は既にその土台そのものが陳腐化している部分も多いのですが、まだ人類全体が量子論的思考にアップデートされたわけではなく、一般的に科学といえば近代科学を指すことが多いと思います。また近代から現在に至るまで占星術を攻撃・排斥してきたのも近代科学だったので、占星術と科学の関係を論じるならば近代科学に焦点を絞ると問題の核心が明らかになると思います。
近代科学は16~17世紀のガリレイ、デカルト、ニュートンの時代から始まります。人類はその時代以降、自然の様々な物理現象を測量と実験によって解析し、数字で表せる新しい物理法則を沢山発見してきました。物質世界はそれらの法則によって繋がり詳細かつ体系的に把握できるようになりました。法則が整理されると、科学技術は爆発的に発展し、人類は科学から多大な恩恵を受けるようになりました。アカデミックな面では17世紀末から19世紀が近代科学の最盛期だったと思います。
ところがここで重大な誤謬が発生します。飛ぶ鳥を落とす勢いの科学のトレンドに依存して乗っかる余り、科学が万能だと思い込み、ついには唯物論的な考え方をする人間が増加したのです。
しかしそもそも近代科学は“物質世界”を探求し大きな成果を上げたに過ぎません。近代科学は精神の探求の役には立たず、魂について何も説明出来ません。それが近代科学の限界です。この当たり前の近代科学の限界を認識していないとすべてを近代科学という尺度でしか判断できなくなります。結果的に精神についての知識が抜け落ちたいびつな人間理解・世界理解をすることになります。その極端な例が魂の存在を否定する唯物論です。さすがに魂の存在まで否定する原理主義的な唯物論者はマジョリティではないと思いますが、宗教や占星術などの精神世界の探求自体を科学的でないといって否定することが現代人としての正しい態度だと考えているひとは決して珍しくありません。もちろん精神世界の分野において個別には否定されるような偽物が沢山あることも事実ですが、宗教や占星術などの存在自体をまとめて否定することにはかなり無理があります。科学を振りかざして宗教や占星術などの精神世界探求のためのツールを最初から嘘と決めつけて攻撃・排斥しようとすることは、中世にキリスト教が教義を振りかざして天動説などを一方的に否定してきたことと同様で、知的に誠実な態度とは言えません。

前述のように近代科学が絶頂期を迎え唯物論者が増加するようになると、元々は人類最古の歴史を持つ正統な学問だったはずの占星術(astrology)はそのあおりを受けてアカデミズムから追放されました。近代科学の繁栄の時期と占星術がアカデミズムから追放された時期が重なるためにしばしば誤解されがちですが、追放された一因は科学と矛盾したからではありません。アカデミズムのトップに成り上がった近代科学(とそれに密接な関連を持つ近代的自我)から見て理解不能で説明のつかない不気味な存在だったから追い出されたのです。前述のように近代科学は物質世界のことしかわかりませんから占星術を否定も説明も出来ないですし矛盾しようがないのです。
近代科学と占星術は別々の体系で動いているというだけで矛盾しているわけではないということは、裏を返せば占星術を学んでも科学的思考は何も棄損されないということになります。量子論と相対性理論の登場によって近代科学は陳腐化したと述べましたが、「非ミクロかつ光速より十分遅い運動系」つまり私達の日常生活において近代科学は今まで通り問題なく役に立ちます。従って物質的な事柄に対しては科学で思考するほうが合理的であり、一方で精神的なことに対してはそれにふさわしいツール(占星術もそのひとつ)を使って探求したほうがはるかに効率的であるということです。実際に私はそのように適材適所で思考を使い分けているだけであり、科学にも占星術にも精神世界にも依存(その世界観だけからすべてを判断すること)はしていません。

近代科学が占星術をアカデミズムから追い出した経緯を書きましたが、占星術を社会認知させたい人のなかには占星術が迷信ではないことを示すために逆に占星術を科学(前述のようにここでは近代科学の意味)で証明しようと考える人もいます。しかし近代科学は物質世界しか研究対象に出来ませんから、近代科学による占星術の証明が不可能なのは前述した通りです。例えば天体同士の引力や太陽から地球に到達する電磁波などといった近代科学の概念で占星術が当たる理由を説明することは到底できません。占星術が扱うのは主に精神世界ですので両者は扱う対象が異なるのです。もちろん物質と精神は密接に関連していますから間接的には影響があるのですが、直接的にはそれぞれを動かす原理は階層が違うと考えた方がいいでしょう。量子論以降の新しい科学ではそれら「物質と精神の断絶」が解消されているように思いますが、近代科学に限れば物質しか扱えない科学が占星術を証明することは原理的に不可能ということになります。
占星術は数の原理によって形成されており、数学的な厳密さを持った体系です。360度ある黄道上の天体の位置において黄経を30度ずつ→5度ずつ→1度ずつというように均等に分割していき、その1度の違いを“数のロゴス”によって読み分けます。1度違えば意味ががらりと変わることもしばしばあります。例えば昭和図の火星は数え度数で牡牛座7度なのですが、それが仮に牡牛座8度であったならば戦前にあれほど馬鹿らしいほど真正面からアメリカやその他の連合国に立ち向かっていかなかったと思いますし、日本国憲法図の太陽は数えで蠍座11度なのですが仮に10度であっても12度であっても、11度で運命付けられたような自虐史観の道にはならなかったと思います(日本国憲法図が日本自体を貶めている原因はここだけではなく、もっと別の場所により大きな問題があるのですが)。このように占星術においては度数の境界をわずかでも超えたらきっかりと意味が切り替わります。それは50億km(光速でも5時間強かかる距離)離れた冥王星であっても同様でそこに度数の曖昧さも、時間の遅れもありません。このように光速を超えて瞬時に太陽系の天体と地球上の人間が同調しているという現象に量子論以前の近代科学から答えが出てくることは永久にないと思います。

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